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【書評】自由を犠牲にして得られた平和に価値はあるのか?『ユートロニカのこちら側』小川哲

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本能的で根源的な「自由」への欲求

じんじょ
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こんにちは 元駐在員のじんじょ(@jinjolifeshift) です。

以前こちらの記事で、海外駐在を通して起こった「心境の変化」について書きました。

自由に生きるために ~「中小企業診断士」と「学びのツールとしてのYouTube活用」~

新たに芽生えた感覚、それは、「自分の人生をコントロールできていない」というものです。

いつの間に、会社に人生をコントロールされるようになったのだろう?

会社の敷いたレールに沿って進む毎日。

そのレールが、徐々に自分の望むものとはズレてきていることに、今更ながら気付きました。

しかし、情けないことに、今のわたしは会社にしがみつかなければ生きていくことができません。

安定したお給料や不自由のない生活と引き換えに、気がつけば「人生の決定権」を会社に譲り渡していました。

もちろん、自業自得と言えばそれまでですし、依然として自分が恵まれた環境にいることは重々承知しています。

社会人としてここまで育ててもらった会社に、感謝すべきであることも理解しています。

ただ、やはり自分の人生なのだから、どの道を選ぶのか、どちらの方向に進むのか、自分で選びたいのです。

  • 会社に縛られずに、自分の思うようにに生きたい。
  • せめてある程度、自分の人生をコントロールしたい。

これらの欲求は、誰しもが持っている本能的なものであるように感じます。

本能的で、根源的な「自由」への欲求。

ある意味で、「人間らしさ」を規定する一つの要素であるのかもしれません。

「自由とはなにか?人間らしさとはなにか?」をめぐる物語

しかし、改めて考えてみると、「自由」に生きるとはどういうことを言うのでしょうか?

自分の信念に沿って生きることが自由?

もしそうだとすると、敷かれたレールに沿った生き方であったとしても、それが自分の信念と同じ道筋をたどっているのであれば、「自由」に生きていると言えるのか?

では、信念そのものが、レールによって形作られ、思い込まされているだけだったとしたら?

自分で「選んでいる」つもりでいたことが、実は「選ばされている」だけだったとしたら?

それでも人は、「自由」に生きていると言えるのか?

「君はものごとを深く考えすぎだよ」

「自由」への価値観が大きく変容してしまった、近未来都市アガスティア・リゾートの住人であれば、こう答えるかもしれません。

『ユートロニカのこちら側』は、このアガスティアを舞台に、「自由とはなにか?人間らしさとはなにか?」をめぐって彷徨する人々の物語です。

機械の言うとおりに生きることが最善である監視社会アガスティア・リゾート

時代は近未来、一企業マイン社によって運営される、サーヴァントと呼ばれるAIシステムが、住民のあらゆる視覚や聴覚データを収集するようになりました。サーヴァントは収集した情報に基づいて、人々の「意思決定」を方向づけます。

  • その人が一番求めているニュース記事が、スティックと呼ばれる情報端末に配信される
  • 凶悪犯罪を犯すリスクの高い潜在犯は、サーヴァントによって事前に検知され、本人たちも気づかない方法で社会的に隔離される
  • ひとたび犯罪が起きれば、AIシステムから容疑者リストが提示され、警察は機械の指示通りに容疑者の身柄を拘束する

人間の行動は監視され、管理されることによって、犯罪などの社会的なリスクは未然に防がれるようになります。つまり、共同体を運営するためのコストは低減します。

こうして、人々はプライバシーにかかわる情報を提供することと引き換えに、仕事をせずとも、安全で不自由のない生活が送れるようになりました。

機械の言う通りに行動することが、最善である世界

物語の舞台となっている近未来都市アガスティア・リゾートの「アガスティア」という言葉。これは、インドの聖者アガスティアに由来します。[1]

紀元前3,000年ごろに実在したとされる聖者アガスティアは、個人の運命に対する予言の書を後世に残したと言われています。

まさしく、人工知能システムの手のひらの上で、人々の運命が方向付けられていくさまを象徴しています。

最終目的地としての「ユートロニカ・永遠の静寂」

著者の小川哲さんは、東京大学大学院 総合文化研究科 在学中に本書を執筆しました。本作は小川さんの処女作で、2015年にハヤカワSFコンテストで大賞を受賞しています。

タイトルにある「ユートロニカ」は、アガスティア・プロジェクトの行く先を示す言葉として、「永遠の静寂」という当て字で、本書の中に登場します。

深遠な雰囲気を漂わせるこの言葉は、わたしの興味を強く惹きつけ、本書を手に取るきっかけを与えてくれました。言葉の由来は、「ユートピア」と、叙情的なテーマが重視される電子音楽「エレクトロニカ」を組み合わせた、小川さんの造語だそうです。[2]

アガスティア・プロジェクトの最終目的地は、なぜ「ユートロニカ・永遠の静寂」と称されるのでしょうか?

その謂れを説明します。

アガスティア・リゾートでは、住民に「情報等級」という位が与えられ、等級に応じて、提供した情報の対価が支払われます。つまり、等級の高い人ほど、生活の質が高まります。

どういう人の「情報等級」が高くなるのか?それは、AIシステム、サーヴァントにとって管理がしやすい人間です。

人々の知覚情報に基づき、その行動は、確率的な値とともに予測されます。こうした未来予知に基づき、危険を排除するのではなく、予測し、回避することで成り立つ街アガスティア・リゾート。この都市では、複雑で、予測が困難な人間は社会的なコストとなります。

そのためサーヴァントは、住民をアガスティア・リゾートに適合させるため、移住希望者に以下のような無意味な問いを投げかけます。

  • 足し算のできるゴリラは朝食のあとにブラックコーヒーを飲むか?
  • オードリー・ヘップバーンのひとさし指とエイブラハム・リンカーンの鼻毛はどちらが長いか?
  • 途上国の軍事指導者と急いでいる二枚貝のどちらの方がより盆栽を好むか

こうした設問を、無批判に受け入れ、機械的に回答していく作業を通して、人々は徐々に思考停止へと追い込まれていきます。

想像力が欠乏し、意識が希薄化していく。

機械が意識を手に入れる前に、人間が勝手に意識を手放し始める。

そして、最終的に「永遠の静寂」が世界を飲み込んでいくのです。

ユートロニカは「ユートピア」なのか?「ディストピア」なのか?引き返せない社会変革

何不自由ない暮らしに大きな価値を見出す人々は、ユートロニカを一心不乱に目指します。彼らにとってユートロニカは、「ユートピア(理想郷)」であり、夢の楽園です。

一方で、価値観の変化に取り残された人々の眼前に、ユートロニカは「ディストピア(暗黒郷)」として立ちふさがります。彼らはこう問いかけます。「人間はいつからサーヴァントの奴隷になったんだ?」

ユートロニカの「あちら側」と「こちら側」。その間にある境界線上でさまよい、逃れがたい運命に戸惑う人々の苦悩や葛藤。

ある者は、サーヴァントが作り出す背後霊の「悪夢」に苦しみ、

ある者は、人間の尊厳を取り戻すためアガスティア・プロジェクトに「戦い」を挑み、

ある者は、自分の中にある強い「祈り」の言葉に自由を見出す。

「自由とはなにか?」

「人間らしさってどういうことか?」

不自由がなくなれば完全な自由が得られる、という考え方自体が間違っている。人間は、不自由からの開放という形でしか自由を認識できない。(中略)これは人々の欲望と現実を一致させる戦いではない。人々の欲望そのものを変える戦いだ。だから、自由を取り戻す戦いではない。自由の解釈をめぐる戦いだ。

『ユートロニカのこちら側』 小川哲

こうした人々の抵抗もむなしく、アガスティアの拠点は世界に広がっていき、法制度そのものにも影響を及ぼすようになります。

「殺人予備罪」が制定され、人々は行為ではなく、実行に移す以前の「目的」を持った時点で裁かれるようになっていく。

社会の仕組みや人々の価値観は変容し、臨界点を超え、もはや引き返せないところまで進んでいきます。

世界が本当に変わるのは、なにか非常に便利で革新的なものが開発されたり、新しい画期的な物理法則が発見されたりしたときではない。さらにいえば与党が改まったり、新しい法律が成立したりしたときでもない。そんなものは、政治家の人気投票結果に付随する塵芥にすぎない。本当の変化は、自分たちの変化に気が付かないまま、人々の考え方やものの見方がそっと変わったときに訪れる。想像力そのものが変質するんだ。一度変わってしまえば、もう二度と元には戻れない。自分たちが元々何だったか、想像することすらできなくなる

『ユートロニカのこちら側』 小川哲

社会全体を覆い尽くす変化は、そっと背後から忍び寄り、知らず識らずのうちに人々を飲み込んで行くのです。

果たして、自由をめぐる戦いの行く末は?

結末はぜひ、本書でお確かめください。

リアリズムへのこだわり:ユートロニカの主題はわれわれの社会の変化と地続きでつながっている

著者の小川哲さんは、インタビューの中で、本書へのこだわりについて語られています。[2]

それは、タイトルの「こちら側」に象徴されている “リアリズム” です。

多くのSF小説が「あちら側」を描いたものであるのに対し、小川さんは「こちら側」という “リアリズム” をコード(制約)として自らに課しました。

実際に、本書の中には、われわれの身近な存在であるGoogleやSiriなどをモチーフとしたガジェットが登場します。

現代社会において、SNSが犯罪捜査に使われはじめた昨今、一企業によってわれわれのプライベートが実質的に監視されている、と考えることはあながち的外れではないのかもしれません。

検索履歴やSNSに基づくターゲティング広告は、AIによる意思決定介入への端緒が開かれた、と見ることもできそうです。

IT用語で「フィルターバブル」という言葉があります。検索システムのアルゴリズムは、利用者にとって好ましい情報のみを取捨選択し、個人の思想を偏ったものへと導きます。

小川さんは、こうした “リアリティ” へのこだわりを物語の中に組み込みました。

つまり、本書の主題である、

  • 自由意志をめぐる正義
  • プライバシーを犠牲にした安全
  • 個人情報を集積していくことの倫理的な危うさ
  • 行為ではなく目的による制裁

などはすべて、今まさに、われわれが直面している社会の変化と地続きでつながっているのです。

本書は、SF小説という形を取りながら、哲学的で難解な問題にわかりやすい切り口を提示してくれています。処女作とは思えない、理知的で機知に富んだ文章に思わず引き込まれました。

よろしければ、ぜひご一読ください。

じんじょ
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[1] アガスティアの葉 Wikipedia

[2] SF新世代——28歳哲学系男子が問う「明るい未来の絶望」とは? cakes

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